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講演レポートラスト 女の戦い

[前回]のつづき ※[前々回]はこちら

演題ラスト 女の戦い

いきなり本題から逸れるが、京都市養源院所蔵の「崇源院画像」を見てもらうと

oeyo.jpg
※崇源院というのは小督のことで、「江」や「江与」とも呼ばれている。
二代将軍徳川秀忠の正室で三代将軍家光の生母である。

尼僧姿で描かれているのが分かる。

しかし、小督は寛永3年に没しているのだが夫である秀忠は寛永9年に没しているため
尼僧姿で描かれていることに疑問が生じるわけだが

実は、この画には五七の桐(豊臣秀吉)と木瓜(織田氏)が描かれている。
さらに、養源院というのは浅井長政とお市の菩提寺として淀殿が建立した寺でもあることから
この「崇源院画像」は「淀殿の画像」である可能性が高いといわれている。

さて、ここからが本題

朝倉孝景は正四位の追贈を受けている。

一方、元亀争乱においてともに戦った浅井長政はその遥か上の「従二位中納言」の追贈を受けている。

この追贈は通常では考えられない破格すぎるものであったのだが、この裏には男たちの戦国の世にあって、豊臣家に嫁いだ茶々(淀殿)、京極家に嫁いだ初、徳川家に嫁いだ小督、その娘の和子、そのまた娘の明正天皇という一連の血の繋がった女たちの戦国の世での静かな戦いがあったのかもしれないというわけだ。

実際に浅井長政の追贈を行ったのは第109代天皇である明正天皇であるが、ちょっと系譜を整理しよう。

浅井長政-お市
  ∟茶々
  ∟初
  ∟小督-徳川秀忠
    ∟千
    ∟勝
    ∟初
    ∟家光
    ∟忠長
    ∟和子(まさこ)-後水尾天皇
      ∟明正天皇

つまり追贈を行った明正天皇からみれば浅井長政は曽祖父にあたるわけだ。
※徳川3代将軍家光は、亡母小督(江・江与-寛永3(1626)年9月15日没)の7回忌命日(寛永9(1632)年9月15日)に祖父である浅井長政の叙位を推挙し、明正天皇は、浅井長政を破格の「従二位中納言」に追贈した。



こういう発想で歴史を見ると本当に楽しいと感じますね。

歴史は暗記するものでした。暗記ももちろん大切です。
暗記した上で興味を持ち、疑問を抱き、発想してみるともっと歴史が楽しくなりますね。

いやぁ歴史ってほんっとぉぉぉぉに!楽しいですね♪それではまたお逢いしましょう!
ごきげんようさようなら^^

・・・ってちとネタ古かったなw


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